『私たちが通ったアメリカの学校ー小・中・高校フィールドワーク』(2011年自費出版,ISBN 978-4-901242-95-0)本書に描かれたのはアメリカの普通の公立学校の生活.あれから早10年・・・みんな元気にしているかな?学校はどうなっているだろう.2012年3月コロラドの春の日射しの中で『私たちの学校の今』を見つける旅が始まった.アメリカ庶民の素顔に迫る写真満載の続編スタート.Time goes by fast!

2012年11月9日金曜日

4 more years!!

 アメリカの大統領選挙が終わりました。わがColoradoは接戦州の一つで、僅差の勝負(オバマ: 51.2%、ロムニー:46.5%)となりました。本書と本ブログの主要登場人物であるG家の面々、この選挙でも相変わらず元気で精力的です。
 
 G家はメキシコからアメリカへの移民ですが、アメリカ生まれのBさん、Cさんには選挙権があります(アメリカ生まれのアメリカ国籍保持者)。ふたりとも早々と投票を済ませました。CさんはFacebookに「私の初めての選挙!!」と興奮した様子で書き込んでいます。のんびり屋でめんどくさがり屋のBさんも、鼻息荒く(笑)いの一番に書き込みました。
「私はなんでも物事を先延ばしにする方 (I know I'm a procrastinator)だけど、ちゃんと投票してきたわよ!」
 えらい!!確かにアメリカの選挙って、ちょっと面倒なんですよね。日本では20才になれば、家に投票券が送られてきます(住民登録してあれば)。アメリカでは、自分で選挙人登録をしなくてはなりません。投票したければ、投票日1ヶ月くらい前(州によって多少異なる)までに、自分できちんと手続きをする必要があります。家でのんびり待っていても選挙はできません。本書の方に良く登場する『我が相棒K』(このブログではまだ登場していませんね。E小のランチルームで一緒に働いた仲間です)は、いつも文句たらたらでした。
「投票したいけど選挙人登録がめんどくさい」
 それでもあの2000年の大統領選挙(ブッシュとゴアの大接戦というか泥試合)の時、「I'm Gore Person!!」(私はゴア支持なのよ)と堂々と宣言して投票に行きました。アメリカ人は自分の支持政党をはっきり口にします。選挙人登録の時、支持政党を書き込まなければならないこともあるでしょう。低所得層のKは『金持ちで親の七光りのお坊ちゃま』を毛嫌いしていました。あの頃のコロラドは共和党が強かったので、「みんな何もわかっちゃいない!」といつも憤慨していましたっけね。オバマでは2回とも民主党が勝ちましたから、さぞかしKもよろこんでいることでしょう。

 今回の選挙について、ちょっと地理的に見てみましょう。


 これらの地図を見ると、今度の選挙の特色がよくわかります。
左側いちばん上の地図
勝利した州の数はオバマ26、ロムニー24(フロリダはまだ決まってない)で2州違い。獲得選挙人はオバマ303、ロムニー206で97人も違います。どうしてこんなに違うかというと
左側の3番目の地図で緑の濃いところ(西海岸と東海岸)を見てください。
緑が濃いのは人口の多いところですが、そこはすなわち選挙人の多い州です。ロムニーのとった州で選挙人の多いのはテキサスくらいで、あとはカリフォルニア、ニューヨークなど、ことごとくオバマがとりました。
右側の三つの地図
一番上はカウンティごとの投票結果。コロラドは州としては青(民主党)が勝ち、選挙人(9人)を獲得しましたが、州の東側やロッキー山脈側は赤くなっています。コロラドの中でも比較的人口が多い地域で民主党が強かったわけで、決して州全体が民主党というわけではないのです。真ん中はヒスパニックの分布です。コロラド、ニューメキシコ、見事にヒスパニックの多いところ(赤〜オレンジ)が、上の地図の青いところ(民主党)と重なります。一番下は黒人の分布ミシシッピ川沿いの濃い緑色の地域(黒人が多いところ)も、みごとにいちばん上の地図の青と重なります。

 オバマの勝利には、ヒスパニック(出口調査ではヒスパニック有権者の71%がオバマ、ロムニーは27%)、若者、女性の力が大きかったといわれています。Bさん、Cさんは、まさにこの3条件をすべて揃えています。アメリカに住み続けるために苦労の大きかったG家にとっては、オバマが出した「30才未満の不法滞在者に対する救済策」が、心に大きく響いたのかもしれません。


2012年10月25日木曜日

給食にあれが・・・日本でもね!

公立学校のランチの現場にファストフードがこれほど食い込んでいるとは・・・日本の学校給食しか知らなかった私は本当にびっくりした(P180)


E小カフェテリアの配膳カウンター(野菜が見える!)

 本書の中で一番読破(?)率が高いのは、第4章のスクールランチらしい。小学校の教員をしている友人は「他は(厚すぎるから)まだだけど、ランチの所だけ(?)一気に読んだよ」

 本書に書いたように、あの頃、アメリカの学校の食の現場は、『(子どもの食生活としては)信じらんな〜〜い』ことの連続だった。メニューの貧弱さ、油脂、砂糖、塩分の氾濫、悲惨な残飯バケツ、使い捨てフォークやスプーン・・・中でも一番驚いたのが、M中、H高でのファストフード出張販売(毎日)、E小での週1回ピザランチ(PJPizza)だった。
「これでいいんかい?日本じゃこんなこと(学校給食にファストフード)絶対やらんぞ!!」ちょっとだけ日本の学校給食を誇りに思ったりしていた。

 ところが、これは完全に私の認識(というか情報)不足だった。最近になって本書を手にした友人から、貴重な情報が送られてきた。実はその人は、世界に冠たるファストフード会社のベテラン社員(店長経験者)である。内部事情は知り尽くしている。私があらかじめ、ファストフードについて触れている部分に付箋をつけておいたら、
「何はともあれ、そこには目を通しました。反論ではないけど、こういうこともあるので知っておいてくださいね」
仕事に対する情熱と愛情が溢れるメールが届いた。本当にありがたいことです。もつべきは良き友ですね!!
 
 その人がある店の店長をしていた頃、その店では近所の幼稚園に10年以上、週1回、ランチ(給食)を配達していた。さすが世界を席巻するファストフードカンパニー!!日本でも、ちゃんと(?)やっていたんですねえ。とは言っても、これは企業戦略ではなく、幼稚園と保護者の方から要請があり、始まったということだ。どうしてそのような希望が出たかは聞いてないが、これはもう時代の流れかなと思う。10年以上続いたというから、本当に根強い人気があったようだ。ただし、企業としては“採算には目をつぶる”という状況で、無条件にWelcomeの仕事ではなかったんだとか。
 う〜む小、中、高校ではなくて幼稚園かあ。確かに公立学校ではなく、私立幼稚園、しかも普段からケータリング給食(自校調理でなく)なら、問題なくできそうだ。きっと子どもたちは大好きだろうから、大喜びでよく食べたのではなかろうか。でも週1回というのは、私の感覚では多い感じがする。ちょっと調べてみたら、週1回ではなく、月1回とかイベント給食としてというのなら、結構やってる幼稚園があるようだ。これなら、たまには目先が変わって楽しいことだろう。

 その幼稚園給食には後日談がある。ある年の3月、アルバイト希望者が多数その店を訪れた。友人店長は、なんで募集もかけてないのに来るんだろうといぶかった。なんとその応募者たちは、幼稚園で毎週1回あれを食べていた子どもたちとそのお母さんたちだったのだ。子どもたちは、高校に入学してアルバイトができるようになると、いの一番にその店にやってきた。
「幼稚園の時、きびきび働くおにいさん、おねえさんを見て憧れ、絶対に自分も店員になりたいと思っていた」
加えてお母さんたちも
「子どもが大きくなってアルバイトができるようになったら、絶対にあそこでやりたいと思っていた」
この人たちは、仕事へのモチベーションが非常に高く、たいへん優秀な働き手となり、その年、その店がチェーンの中の優秀店舗に選ばれる原動力になったそうだ。

 友人店長は、メールにこう書いてきた。
商売一辺倒でなく、地域に根ざした店づくりをするとこんな事が起きるんだな~と考えさせられました。郊外型の店舗では地域密着型の店舗運営が、どれだけ大事で将来役に立つか・・・」

 本書の中にも書いたが、私は何でもかんでもファストフード断固反対派ではない。食べるときは結構楽しんでいるし、便利な存在として利用している。渡米前は、すぐそばの大学構内にその店があったので(そう言えば、ここでも学校現場に進出しているなあ)、近所の子どもをたくさん引き連れて食べに行った。なんせ田舎なので、それくらいしか楽しみがなかったのだ。大学に出店した店が、地域の子どもにも楽しみを与えてくれた。
 とにかく、上手に利用しよう!!食べ『過ぎ』は絶対禁物です!!!



2012年9月3日月曜日

ヤングマザー奮闘中!!

4年前,私は目を疑った.突然舞い込んできた一通のメール.そのタイトルは
わたしのあかちゃん!!(原文はスペイン語)」
本文は無く写真が数枚. どれも生まれたばかりのあかちゃんの愛くるしい顔が写っている.あの「あかちゃん」が,この(2012年)夏から幼稚園(Pre-school)に通うという.

仕事中のCさん
本書の中心登場人物であるG家3人兄妹.10年の時を経てそれぞれに成長した.お調子者で楽観主義,かなりテキトーでいいかげんだったW君.おきゃんでおしゃべりでちゃっかりしていたBさん.ふたりは紆余曲折はあったが,今は着実に自分の道を歩んでいる.しかし,あの頃一番堅実で思索的だったCさんが,その後こういう道を歩むことになるとは・・・

Cさんはうちの末っ子と同級生である.ということは、あのメールをもらったときはまだ17〜18才.一方が大学受験に向けてヒーヒー言ってるときに、かたや「あかちゃん誕生!!」.このたびはその顛末をじっくり聞かせてもらおうじゃないの!!

夜遊び(本ブログ第2話)の翌日、私はG家を訪ねた.いくらノックしても誰もドアを開けてくれない.全員爆睡中のご様子だ.何度目かのトライでようやくドアを開けてくれたのは小さな男の子.誰の子だ!不用心だぞ!(実際、アメリカで生活するのなら、こんなことはしない方が良い).文句を言いそうになったその瞬間,はたと思い当たった.
「Are you C's son?」
かすかにうなずいた.どうやら英語よりスペイン語の方がいいらしい.

Cさんと息子とその若き父親は,近くのアパートに住んでいる.しかし実際はほとんどG家に入り浸りだ.一緒にランチを食べている時も,子どもの世話はG家のお母さんに任せっぱなしである.若き父親は客(私)に遠慮したのか,テレビを見ていてランチに合流せず,子どもも全く近寄ろうとしない.肝心のCさんは、息子にも"ダンナ"にもつれなくそっけない.正直言って私は「これってどうなのよ?」と居心地が悪かった.もう4才になるのに,あまりに若くして母親になったCさんは,まだ現実を受け止め切れてないのかなあ・・・しかも,W君も“ダンナ”に対してえらく冷たい.まあ,かわいい妹に手を出したヤツに愛想良くしろと言っても無理な話なんだろうけれど.

「初めて妊娠を告げられたときどう思った?」
私はG家のお父さんに単刀直入に聞いてみた.
「そりゃびっくりしたし許せなかったよ.しばらく怒りがおさまらなかった.正直言えば今でも怒っている(苦笑)」
おかあさんも
「子どもが信用できなくなったね」
そうだよねえ.親としては「まだ高校生でしょ!!どうするつもり?」となるだろう.ましてや敬虔なカトリックファミリーでもある.それでも御両親は、最大限子育てを助けている.というか実際はほとんどG家母さんが育てているようなものだ.そしてG家には今でもW君,Bさん,Dさん(あの頃赤ちゃんだったG家の末っ子)が一緒に住んでいる.Bさんのフィアンセもしょっちゅう来る。だれもが交代でC息子の面倒をみる.メキシコ人大ファミリーにとっては,子育てはみんなでするのが当たり前だから,その点は恵まれている(頼れるから母親の自覚を目覚めさせないとも言えるのだが・・・).
「とにかく正式に結婚してないし,すべてきちんとするまで絶対次を産んではダメ!」
お母さんは娘にきつーいお灸をすえたそうだ.

「ところでお産はどうだった?」
「そりゃ痛かった!!」
「え!?麻酔使わなかったの?アメリカではみんな使うのかと思った」
「そんなことないよ!私は無しで耐えたんだから!!!褒めてくれる?ねえ(うちの)3人の時はどうだったの?」
「そりゃ〜たいへんだったよ.それぞれ全然違うんだから〜〜」
あれま,Cさんとこんな話で盛り上がるとは夢思わなかった.経験者ならおわかりになると思うが、お産の痛みの連帯感は強い!!言葉の壁なんて関係ない.Bさんもつられて興奮気味だ.
「あたし、ずっと一緒にいたんだけど、赤ちゃんが出てくるとき、感動して泣いちゃった!」
Bさんが立ち会いというのも大胆なもんだ.日本なら「(未経験者には)産みの苦しみはまだ見せなくてもいい」なんて言いそうだけど・・・感動して泣くというのは、これは素直なBさんらしい.W君も病院で見守ったというが、どの瞬間までいっしょにいたのだろう?メキシコ人ファミリーの絆が強いのはいいが、これじゃパートナーの出番は無さそうだ.G家の婿さんの立場というのは,(家族の仲が良すぎて)気苦労が多いだろうなあと同情してしまった.ただし残念ながら、あれから二人の間には大波風が立ったらしく、彼は正規の婿さんにはなれそうもない.

どういうわけか、Cさんと我が家の末っ子のE小時代のクラスメートには、ヤングマザーが多い.今回わかっただけであと3人はいる(みんなシングルマザー).ハイスクール時代にいろいろなことが思うようにいかず・・・そんなこんなで類は友を呼んだ(?)らしい.ちなみにBさんの友達にはまだヤングマザーはいないとのことだ.

お産の話はもりあがったが、私はG家を後にしてから、気持ちがもやもやしていた.子どもへだけでなく、Cさんの態度、雰囲気全般がとても気がかりだった。はっきり言うと「なげやり」という言葉がぴったりだった.お化粧、アクセサリー,ヘヤースタイルなども含めて、自分の娘がああだったらどやしつけているところだ.


そんな気持ちを抱いていたが,後日,末っ子と一緒にCさんの働くスーパーW(W君とは違う店)へ行ってみた.私たちが欲しかったものを従業員価格でサービスしてあげると約束してくれたからだ.お店に行って本当に良かった!!Cさんは髪の毛をきっちりと束ね、あの「投げやり」な雰囲気が嘘のようにてきぱきと働いていた.パートナーとの関係も微妙だし、しばらく子どもは母親任せになっちゃうけど、今はとにかく独り立ちするために働かなくちゃ!!と言う.どうにかして自分と子どもの道を切り開こうと,手探りだけど必死ということのようだ.そういう気持ちになってるから、みんなが助けてくれるのだろう.母親になるのはかなり早過ぎたけど,何せまだ若い!!何事もこれからさ,Cさん!!


2012年7月5日木曜日

Spanish is first!!

私が日本語を覚えて、みんなの英語を助けてあげるの」(p311)


食べ過ぎ厳禁ですよ〜〜
本書の最重要登場人物であるG一家。スーパーの新店舗開店(前回のお話)で大活躍のW君に続いて、今回はすぐ下の妹Bさんである。
アメリカに来てG家の子どもたちと知り合って半年くらいたった頃、3人組(W君、Bさん、Cさん)から日本語を教えてという申し出があった。そのときのBさんの言葉と表情)は今でも鮮明に覚えている。素直で無邪気、ちょっと古いかもしれないが “おきゃん” これが彼女にぴったりの言葉だった。でも見るべき所はちゃんと見ているし、意外に堅実なところもあった。天真爛漫を絵に描いたようなあの子がどのように成長しただろう。再会が楽しみだ。

子どもたちの夜遊び(本ブログ第2話:おとなのあそび)の翌朝、私はG家を訪問した。Bさんと感激のハグの後、思わず口がすべってしまいました(本当はわざとだけどね!)。
「う〜ん、なんだかずいぶんスタイルがよくなった(better??)ような・・・」
「そうなの〜〜(言わないでぇ〜恥ずかしいよ〜)。あのころみんな(=うちの子たち)から『そんなに食べたら太るよ』ってしょっちゅう言われてたんだけど、全然気にしなかったよ。そしたらこんなになっちゃった。あ〜あ、言うこと聞いておけばよかったな〜〜」
彼女には婚約者がいる。もう5年越しのつきあいで、来年には結婚の予定である。
「結婚式目指してZumba(ズンバ*ラテン音楽にあわせて行うエクササイズ)に通ってるよ」
愛が彼女をようやく目覚めさせたらしいが、あと1年では・・・マンゴーをむいて一個ぺろっと食べてるようじゃ前途多難だな!

Bさんは目下コミュニティカレッジで、スペイン語教師目指して勉強中だ。婚約者が働いて、その費用を援助している。自分が仕事に就いたら、今度は彼がカレッジに行く番なのだそうだ。この計画を聞いて私は感心した。おきゃんだけど堅実、全然変わっていない。どころかすばらしく成長している。

朝帰りでみんななかなか起きてこないので、Bさんと私は2時間近くおしゃべりした。彼女の英語は非常にわかりやすく話が弾んだ。英語でこんなになめらかに話し合えるというのは、私自身初めてのことだった。私はBさんがスペイン語教師を目指していることに興味を持ったので、単刀直入に尋ねてみた。
「今、何しているの?」
「カレッジでの勉強とアフタースクールで子どもたち(中南米系)にスペイン語を教えてる」
「へ〜私も同じようなこと(ヤッチャル&U-18@東広島市)してるよ。私は母語じゃなくて日本語(第二言語)の方だけど」
「そうなんだ〜!!同じ(ような)ことしてるなんて、なんかうれしいな」
「なんでスペイン語教師になろうと思ったの?」
「だって、アメリカの学校に通っていると、みんなスペイン語できなくなっちゃうんだもん」
「そうか。でもBさんのスペイン語はすんご〜〜く上手だよ」
「うちは親が厳しかったからね。というかお母さんはスペイン語しかできないし」
「自分の英語とスペイン語についてどう思う?W君もそうだけど、これだけ両方きちんとできる人って、アメリカでも珍しいよね?」
「そうかなあ。まあ他の人よりうまいとは思うけど・・・でも今でも時々、あれ、これって英語でなんて言うんだっけ?あれ、スペイン語ではどう言うんだっけ?なんて、頭の中がこんがらがっちゃうんだよ」
はあ、彼女にしてそうなのか。バイリンガルとはなんと険しい道のりか・・・
「結婚して子どもができたらどうするの?」
この質問には、間髪入れず答えが返ってきた。
Spanish is first!!!
Bさんは、アメリカに住んでいる人には珍しく(?)、世界のいろいろな文化に興味を持っている。目下の関心はインドのようだが、心の片隅には常に日本がある。彼女に「日本に来て小、中、高校で英語を教えるプログラム(ALTなど)があるよ」と言うと、
絶対行きた〜〜〜〜い
目を輝かしていた。彼女ほどの適任者はなかなかいないのではないか。晴れてデイプロマがとれたら、ぜひチャレンジしてね(彼の理解が必要だけど・・・そこは応援するよ)

2012年6月20日水曜日

スーパーW新店舗開店

ブログ第1話で我がW君がストアマネージャーとして「目下スーパーWの新店舗開店に向けて準備中で大いそがし」と書いた。その新しい店がついに開店した(Colorado州のDenver市内です)。
開店前夜、誇らしげに台の上に立って挨拶する彼の写真を見て、私は感慨無量になった。わが子のM中への登校1日目、彼が声をかけてきてくれた(本書p39〜40)ことから、わたしたちのアメリカ生活がスタートした。そう、すべてはあそこから始まったのだ・・・いやあほんとうに立派になりました。
親に連れられてメキシコからアメリカへ。英語とスペイン語のはざまで苦労したね。金銭的には決してゆたかな環境で育ったわけではない。でも愛情だけはとびきりたくさんある家庭だった(いまでもある)。何よりスペイン語(母語)をきちんと自分の物にすることができた。これこそまさに両親のおかげである。
本当に君は日本に暮らす外国につながる子どもたちの希望の星だよ!お金がなくても外国で心豊かに暮らすことはできるんだよね。


それにしても第1話ではブラウン系、今回はグリーン系。シャツとジャケットとネクタイのコーディネート、決まってるぜ!!あの頃、こんなにカラーセンスがよかったっけ?

2012年6月12日火曜日

どうしたのかな炭酸飲料・・・???

 一日2缶でも飲み過ぎだと思うが、これがさらに加速すると、E小の炭酸飲料クイーンAのように一日半ダース(約2㍑)と豪語する人間まで現れる(p223)



この写真、アメリカのスーパー(以前よく行った店)の炭酸飲料売り場です。アメリカ人と言えばコーラ、7up、ドクターペッパー!そんなドル箱商品なのに、この売り場、なんか違和感があります。左側に壁が写っていることでわかるように、お店の一番奥の奥、入り口から最も遠い(対角線)、人目につきにくいところにあるのです。夜だったせいもあるかもしれませんが、なんか場末感(?)すら漂っていました。
10年前、この場所には、赤ちゃん用品、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、サプリメントなど、買い物頻度があまり高くない物が並んでいました。私自身、ここに足を踏み入れるのは5回に1回くらいだったでしょうか。つまり、ここはお店の中でも、最も人通りが少ない、さびれた(??)場所なのです。
 あの頃、炭酸飲料売り場は、店の真ん中あたりにありました。印象的なのはとにかく安かったこと。私の知る底値は2㍑ペットボトル3本99セント。当時のレート(1$≒¥130)で2㍑45円くらいです。これなら水より安いです。まあここまで安いとちょっと桁違いですが、庶民たちはこういうのを見逃しません。私はお節介にも、炭酸飲料クイーンAにお説教しました。
「炭酸飲料飲みすぎ注意!水を飲む方が健康に良いよ」
でもこの値段を見れば、これが完全に馬の耳に念仏なのは明白です。
当時の広告を見ると、ミネラルウオーターは2㍑86円くらい、炭酸飲料(缶売りの場合)は2㍑130円くらいです。缶売りにすると水に比べて安くはないです。でも一缶17セント(約22円)ですから、Aにとっては「一日半ダース!!」(12oz缶)でも、けっして割高ではなかったのでしょう。もちろん、自動販売機で一缶ずつ買えば、もっと高いです。
しかし、今回このスーパーの広告では、炭酸飲料2㍑ペットボトルの最安値は一本99セント。私にとっては(アメリカ庶民にとっても)すごい物価上昇(?)です。Aも少しは自粛してるのではないかと想像しています(残念ながら今回は会えませんでした)。

ところで、かつての炭酸飲料売り場ですが、そこは今でも飲料売り場になっています。ただし、クランベリージュース、野菜ジュースなど、比較的健康志向のものがずらり。
店の中央にある方の飲料売り場。クランベリージュース、野菜ジュースなどが並んでいる
なんで、スーパーKでは炭酸飲料がこんなに冷遇(?)されているのでしょうか?他のスーパーでは、これほどの大規模な売り場移動は見かけませんでした。

肥満はアメリカ人にとって本当に深刻な問題です。炭酸飲料の飲み過ぎは、あの頃から肥満の敵とされてはいました。しかし、私の周りでは(みんな庶民中の庶民!!)、そんなことはどこ吹く風。すでにメタボ体型だった(今回さらにひとまわり大きくなっていた)G家のお父さんは、行くたびに7up缶を放ってよこし、E小の副校長は毎日ペプシ缶片手に校内巡視。Aの定番はあのドクターペッパー!!
しかし、ほんの少しずつ、何かが変わってきているようです。G家のテーブルには大きなグラスになみなみと注がれた水が置かれていました。R家の冷蔵庫には数本のペプシのみ。そして、このスーパーKにおける炭酸飲料売り場のお引っ越し・・・売り上げが命のスーパーで、花形商品をあえてお客の目に触れにくい場所におく真意はなんなのでしょうか?それとも、お客の足を店の隅々まで運ばせようという周到な作戦?なのでしょうかねえ。

2012年5月31日木曜日

Ms.B.との再会

 「英語や学校生活は、私が責任を持って指導します・・(中略)・・子どもに日本語を忘れさせてはいけません日本語は親であるあなたたちが、しっかり指導してください」(p35)

Ms.B.は真ん中でWelcome!!
アメリカの学校に子どもを通わせる時、ほとんどの親は、わが子の英語が心配でしょうがない.日本語なんてこの際おいといて、まずは英語!英語!とわが子をプッシュする(私にその傾向が無かったとは言わない).それを見透かしたようなこの言葉.E小への登校初日、G4(4年生)のわが子の担任になったMs.B.の真剣なまなざしは今でも忘れられない.
ただし、こういう親心(?)に国境は無いようだ.あれから10年以上経ってから、日本の小学校に通うことになった子どもの親に出会った.
「当分日本語に集中します。中国語(母語)は日本語に慣れるまではちょっとお休みです」
なんの迷いもない顔だった.私は、何とも言えない違和感を覚えていた.

今回のアメリカの旅で、私たちが一番会いたいと願っていたのがMs.B.だ.あの言葉に彼女のどんな思いがひそんでいたか、ぜひ聞いてみたかったのだ.

彼女は現在、E小とは違う学校に勤めている。私たちはその学校を検索→HPによって探し当てた.Denverの市街地からすぐのところにある、だだっ広い敷地の新設校、大規模校である.校舎は2階建てで複雑に入り組み、プレイグランドには色とりどりの遊具、天井の高い体育館、パソコンの並ぶ図書館など、E小とは比べものにならない充実した設備の学校だ.「E小とずいぶん違うね」と言うと、ちょっと苦笑いを浮かべて
「本当はE小くらいの方がいい.学校全体が把握できて子どものこともみんなわかるから」
彼女らしい言葉だなあと思いながら
「でも辞めちゃったんだよね?」
これにはきっぱりと、
「自分のポリシーとは相容れない問題が起きたからね.あの時、E小を去る決意をした」
やっぱりなあ(何があったか見当はついていた).さすがMs.B.とは思ったが・・・今のE小の子どもたちにとって、彼女の不在はとてつもない損失だから残念でもあった.
Ms.B.の学校の前にも州旗と星条旗が翻る遙か彼方にはロッキー山脈
さて、Ms.B.といえば思い浮かぶのが、カラフルでにぎやかな教室である.これは相変わらずというか、より充実(?)してきた感じだ(下の写真).思わず、子どもの気が散らないかなあと余計な心配をしてしまう.でもそういえば、あの時のわが子は、ど派手な教室に度肝を抜かれながらもわくわくしてたっけね.子どもにとっては夢の教室なのかもしれない.
あいかわらずカラフルで賑やかなMs.B.の教室
本書をプレゼントすると手放しで大喜び.後から校舎内を案内してくれた時、出会う人、出会う人、そして子どもたちにまで本を見せながら、自分のことが書いているp34〜36(Ms.B.の文字あり)のところを指さし(日本語は読めないのに)
「ここにはMs.B.はすばらしい先生で優しくてかっこよくて・・・って書いてあるの!!」
茶目っ気たっぷりの彼女に、みんなも興味津々、ぐいぐい引きつけられていく.あ〜まさにこれよこれ!このノリの良さ!ユーモア、人を引きつける人間性.わが子が彼女のことが大好きで、アメリカ生活の心の支えだったというのがよくわかる。
本書を手に学校の廊下で子どもたちに囲まれるMs.B.

別れ際、私は彼女に聞いてみた.
「登校初日に日本語を大切にしてね!絶対に子どもに日本語を忘れさせちゃだめよと言ってくれたのはなぜ?普通の先生は英語がんばろうねって言うよね?」
Ms.B.は
「私たちは本当にたくさんの間違いを犯してきたの.アメリカに来てアメリカで生活するんだから、とにかく英語を覚えることが一番だと思って一生懸命やってきたの.でもね、そうすることでお母さんと話ができなくなっちゃう子がいるのよね.そういう子を見ていたら、私たちのやって来たことは、なんか違うんじゃないかと思ったの。子どもにとって本当の幸せって何だろうってね.でも私は日本語はできないでしょ.そうであれば親にやってもらうしかないじゃない・・・そういえばわたしも本を書いたのよ.私が英語で書いたのをスペイン語に訳してもらって、こっちからは英語、上下をひっくり返して反対側の表紙に行くと、同じ話をスペイン語でも読めるの」(この本の写真を撮ってこなかったのは私の痛恨の極みです)

We made a lot of mistakes.

強烈な言葉だった.Ms.B.に出会えたことを心から感謝したい.

2012年5月28日月曜日

Baked!って言ってもねえ〜〜(その2)


ではBaked!の謎(?)に迫ってみよう.

手元にあるポテトチップスはF社のLay’s Baked!(以下B)とLay's Classic(以下C).二つとも手頃な食べきりサイズ.H高の自動販売機( 前回の写真)で売っているのもこの大きさで,ランチのサンドイッチやベーゴルのおともに一袋というのが標準的な食べ方である.まずはウリの脂肪の量を見てみよう.C:16g,B:2g,BはCの1/8,カロリーはC:240,B:130,ほぼ半分.わお!こりゃヘルシーだ!!ダイエットにもよさそう(ホントかな).ということで,今度からはBを食べようと思った方いますか?しかし,ちょっと待てよ.よく見ると一袋の量はB:31.8g,C:42.5g.あれっ?Cの方が重い.さらにServing Size 1packageとも書いてある.アメリカの食品のNutrition Facts(栄養成分表)は1Serving Size(ポテトチップスは28g≒15枚)あたりで書いてあるはずなのだが・・・

 実はBとCの本当(?)の値(1 Serving Size=28g≒15枚あたりの数値)は下の表のようになる.

* “ヘルシー” ポテトチップスには,P社のポップチップス(以下P)もある.(油で)揚げる,焼くではなく,高温で圧力をかけて作る.日本のポン菓子に似た製法である.参考までにその値も加えてみた.Pはかなり塩からそうだ

 同じ量で比べれば,Bakedの脂質は1/5,カロリーは3/4.確かに脂質はおさえられている.看板に偽り無しと言えるだろう.カロリーは「わお,半分!」と喜んではいけなかったようだ.一方,炭水化物はBakedの方が1.5倍になる.糖分も量が少ないとはいえ倍以上.脂肪に目が行きすぎると,ここを見落としてしまいそうだ.注意,注意!!

 BとC(食べきりサイズ)のように,Nutrition Factsが1袋当たりで書いてあると,実際に自分の摂取する量が見ただけでわかる.いちいち計算しなくても良いから便利だ.気になるのは二つの袋の量が違うこと.この場合,私も一瞬錯覚したわけだが,総量の少ないBを実際以上にヘルシーに感じてしまう危険性がある(もしかして,そう感じさせるようにわざとBの量を少なくしている?というのは考えすぎだろうか).そうなると心配なのは,それまでCを食べていた人がBに乗り換えた時,(量が少ないから)物足りなく感じて「ヘルシーなんだからもうちょっと食べてもいいよね」となってしまうことだ.「人は低脂肪食品を食べる時,罪悪感を感じない」(コーネル大学の研究より*)そうだから,この可能性は大いにある.そうなると果たして,H高の自動販売機は肥満対策,健康対策として良いのやら悪いのやら?
 ところで罪悪感を感じない!というのは,アメリカのスーパーで買い物をする時、ついローファットに手が伸びる私にはホントに耳が痛い言葉だ.ただし最近の私はもっと複雑だ.罪悪感を感じないことに罪悪感を感じ始めているのである.ややこしい言い方だが、要するに『低脂肪だからちょっとくらい多く食べても大丈夫だよ〜〜』と自分に甘くなる→うまく乗せられてしまった→くやしい!という感じだ.まあどうあがいても、結局は自分が賢くなって気をつけるべきことなのだが・・・それにしてもいちいち計算するのは面倒だ!


 だからというわけでもないだろうが,アメリカでは2004年頃から1パッケージ100キロカロリーというスナックが発売され,人気になっている(本書p207で触れたが,今回実物を見ることが出来た.日本でも売られている).Nutrition Factsは一袋あたりで書いてある.いちいち計算しなくてもいいのでとてもわかりやすい.量自体もそれなりに手頃(「たったこれだけ!」と失望する人が多いとか)だから食べ過ぎ防止にも効果がある(?)はずだ.同じ量のスナックでも,複数の小袋(100キロカロリー×4)を手にする方が,袋(400キロカロリー)より,食べる量が少なくなるという調査結果もある*

日本でも売っています

1袋90キロカロリーもあり
 このように手を変え品を変え,次々に“ヘルシー”(低脂肪,無糖,低カロリーなど)を掲げるスナック菓子が売り出され,実際にそれが売れている.これが国民的肥満が大問題になっているアメリカの現実である.私なんか「そうまでして食べたいかなあ」と思うのだが・・・そうまでして食べたい人と,そうまでして売りたい企業のいたちごっこ(?)はまだまだ続きそうだ.

大バケツポップコーンを子どもに持たせるのはだれだ!
*Brian Wansin(2006)Mindless Eating: Why We Eat More Than We Think will literally change the way you think about your next meal. ISBN 978-0-553-38448-2

2012年5月16日水曜日

Baked!って言ってもねえ〜〜(No1)

「アラバマのある学校では・・・ポテトチップは焼かれた(Baked)ものになった」(第4章 その後のアメリカ:p226)


アメリカでは油脂分の摂りすぎが大きな問題になっている.油で揚げてないBaked(焼いた)ポテトチップスは,その対策として有効なのだろうか?


本書第4章では,スクールランチや子どもたちの食生活について,かなりしつこく追究した.私自身が3年間,ほぼ毎日E小のランチルームに通い,そのあまりの惨状(?)を目の当たりにしていたからだ.こんな食生活を続けていたら,あの子たちは将来どうなっちゃうんだろう.ただし,4章の最後では「その後のアメリカ」と題して,アメリカの学校のスクールランチにかなりの変化が見え始めていたことも報告した(2003年以降).では『変化』第一弾 Baked!

これはH高で見かけたスナックの自動販売機
一部拡大すると Baked!














Smart Mix
スーパーマーケットでは,こんなものを見つけた.スナック小袋の詰め合わせはお弁当にぴったり.Baked! Baked! Baked!












これは参考までに.あるホテルにあった普通のスナック自動販売機.キャンデーやチップスが並んでいるが,この中にBakedのものはなかった.
左の販売機の一部を拡大




確かにH高の自動販売機では,Bakedのスナックがかなりの部分を占めている.ソーダ(炭酸飲料)を持ち歩く生徒も,わたしたちが見たかぎりではあるがほとんどいなかった.R先生(H高アドミニストレーター)は,炭酸飲料や健康的でないスナックは校内では売らなくなったと断言してくれた.いやはや,あの頃から比べれば何という違い!しかし,ちょっと待てよ.Fat FreeやReduced Fatには大きな落とし穴があった.確かに脂肪分は少ないけど,その分,ほかにしわ寄せ(?)が出てくる.Baked!はどうなんだろうか?私の探求心がムズムズしてきた.ということでここから先は次回をお楽しみに

2012年5月11日金曜日

おとな(?)の遊び

「こうして毎週金曜日の放課後,私は3人とじっくり向き合うことになった(注:日本語教室).レッスン後,そのままお泊まり会(スランバーパーティー)に突入したり,週末にはプールや映画にも連れて行った」(第7章-3たくましきバイリンガル家族G家:P311)

Night Life in Denver(右手に見えているのがロッキーズの本拠地クアーズフィールド)

当たり前のことなのだが,10年前,あの子たち(我が子も含む)は皆,小,中,高校生だった.みんなで一緒に本当によく遊んだ.映画(昼),プール,遊園地,お泊まり会・・・それが今では最年少組でも21才.立派な(?)おとなである.特に21というこの数字,アメリカでは非常に大きな意味を持つ.まず飲酒解禁が21才.レンタカーの運転も21才から.おかげでW君は,みんなを何の憂いもなく,おとなの世界へといざなってくれた.

ではW君,Bさん(W君のすぐ下の妹:やはり本書の重要登場人物,目下教師を目指して勉強中),Cさんとその仲間たちは,何をして遊んだのか?                                                                                       
ピーチリータ
マルガリータ
まずは一日目.仕事を終えたW君の案内で近くのモールへ.メキシコを代表するカクテル,マルガリータを堪能.テキーラという強いお酒を使うカクテルだが,みんなへっちゃらなんだとか.そして10年のブランクをいっぺんに埋めるように,話がはずむ,はずむ.それから深夜映画(『ハンガーゲーム』)へ.帰宅後,W君は3時間睡眠で出勤.店の責任者は休むわけにはいかないようだ.
ラクロスの試合(@ペプシセンター Denver)

すごいボリューム!!



翌朝,W君以外はお寝坊(CさんはスーパーWの店員だが,末っ子が来るのに合わせて休暇を取ってくれた).夕方からダウンタウンへ.まずはラクロス観戦(夕食はメキシコ料理のナッチョス:左写真).一転しておとなムード満点のクラブでダンス(下の写真).G家に戻ってきたのは明け方3時だったそうな.



それにしても,みんな体力あるねえ.若いっていいですなあ.わが子は言う.
「10年前は子どもだったからね.そりゃ(子どもとして)楽しかったよ.でも今回はおとな!ですから.初めての所にたくさん行けた.今まで気づかなかったこともたくさん発見できた.スーパーマーケットに行っても,自分の感じ方,関心が全く違っていたよ(そりゃ今は一人暮らしだからなおさらだね).それにダンスとか深夜映画とか,これは親と一緒じゃ絶対に味わえないよ.これこそ今回の訪問の醍醐味!!!」

若者には若者の世界がある.W兄貴,本当にお世話になりました.
自分たちだけではちょっと・・・でも兄貴がついている!!

*アメリカでは16才で車の運転免許がとれる(州によって多少の違いがある).しかし,すぐに自分専用の車がもてるわけではない.公共交通機関も発達していない.車が自由に使えない子どもは,外出を親に頼らなければならず,基本的に行動の自由はないと思った方がよい.
*ラクロス観戦:デンバーにはマンモスというプロチームがある.W君が元同僚(サブマネージャー時代の店舗の仲間)とより一層親睦を深めるために,月1回設けている『スポーツ観戦デー』の一環.

2012年4月5日木曜日

最高のロールモデル



「両語がきちんと使えるようになれば,僕だって,弁護士,教師,カウンセラー,コンサルタントなどになれる可能性・・・あるよね」(第7章 -3たくましきバイリンガル家族G家p320)


本書を手にポーズ!渋いシャツとタイが決まってるぜ!!

『私たちが通ったアメリカの学校』2012年春編.そのトップを飾るのは,彼をおいて他にはいない.G家のW君.現在,アメリカを代表する大規模スーパーWのストアマネージャー.目下,新店舗開店に向けて大忙しの日々だとか・・・
彼は本書の最重要登場人物のひとりだ.何せ中学(M中)への登校初日,誰一人知る人のいない私たちに,いきなり話しかけてくれたその人である(P39〜40).彼とその家族がいたから,私たちはアメリカで実りある生活を送ることが出来た.本当にありがとう!

その頃の彼は気のいいヤツではあったが,イマイチ決め手に欠けていた.その後,紆余曲折がたくさんあったのだが,地道に努力もしたようだ.本書ではすでに「大規模スーパー地元店のサブマネージャーとして『両語を駆使する忙しい毎日』」と彼の活躍ぶりを伝えている(p322).その肩書きからサブがとれ,もうワンステップ出世したのだから,本当にたいしたものだ.彼に「あなたは日本にいる “外国につながる子どもたち” の最高のロールモデルになるだろう.ぜひブログに載せたい.写真もいい?」と聞いたら,快く承諾してくれた.

改めて彼の道筋をたどってみよう.
メキシコ生まれ,2才の時,家族そろってアメリカに移住.その後,妹が3人生まれ,合計8人の大家族(彼は6人兄妹の3番目)となる.経済的に大変だったが,お父さんは頑張って正規の介護職についた.以後どうにか生活は安定する.
 G4(小学校4年)までスパニッシュスクール(アメリカの公立小学校)に通い,スペイン語で学校生活を送った.家族の会話はもちろんスペイン語.G4の時コロラドに引っ越し,E小に転校.いきなり英語の世界に投げ込まれる.以後ずっと英語での学校生活.転校した時,英語はほとんどわからなかった.ESLで英語を学び,話すことは得意になるが,勉強には苦労する(まあ,彼本来の性格ゆえでもあるのだが・・・).6年(修業年限4年+2年)かけて高校を卒業.その後,昼はコミュニテイカレッジ(勉強),徹夜のアルバイト,明け方睡眠の生活を3年間.スーパーWに就職.サブマネージャーを経て今年(2012年),ある新店舗のマネージャーに昇進.目下開店準備に追われている」


 彼が今の職に就き,昇進できた理由は二つありそうだ.ひとつはスペイン語,英語のバイリンガル(読み書きレベル)になれたこと.Wではたくさんのメキシコ人が働いている.上司はもちろんアメリカ人だ.そのどちらもが彼の能力(仕事のレベルで両語が使える)を必要としたのだろう(彼のスペイン語能力については,本書第7章に詳しい)
 彼のスペイン語の読み書き能力の基礎は,低学年でのスパニッシュスクール通いで身についた.さらに家庭ではスペイン語を話すよう,親から厳しく指導されていた(英語のできない母親が,子どもたちが自分にわからない話をするのを嫌ったからだ:p318).アメリカにいるメキシコ人の子どもの多くは,母語であるスペイン語を失ってしまう.親の言うことはわかっても,話す,読む,書くが出来る子はなかなかいない(日本にいる“外国につながる子ども”も,その多くが母語喪失の危機にある).英語しかできないメキシコ人とアメリカ人が並んだら勝負は見えている
 もう一つは,生まれながらのポジションのせいか,人とのつきあいが上手なこと.彼の妹であるCさん(同じWで店員として働いている)は
「W君は,店の同僚や上司と大変いい関係を築いている.プライベートタイムでもよく仲間の面倒を見ている.だから昇進できたんだと思う.私はこういうのって苦手なんだよね」
 10年前,彼は6人兄妹の3番目という中間管理職ポジションを嘆いていた.「生まれた時だって,だれも祝福してくれなかったし,何かにつけて我慢させられるし・・・」(p318〜319).その苦労は無駄ではなかった.
 スーパーWは能力主義だという.出自や学歴ではなく,仕事内容での勝負.彼にとって最高の職場が見つかって本当によかった.


 ということで,ここまでは言うこと無しの彼だが,さらなる注文もでている.彼の恩師,H高のアドミニストレーター(R先生:本書第4章に登場)から伝言を託かった.
「カレッジのディプロマ(修了資格)をとること!!」
コミュニティカレッジに通っていた彼だが,実はまだ修了していないのだ.ディプロマがあれば,仕事の面でもさらなる飛躍がのぞめる.アメリカでは,働きながら勉強する環境が整っている.チャレンジあるのみだ.晴れてディプロマがとれたら,その時はぜひ日本に来て仕事をして欲しい.日本に進出したスーパーWは苦戦を強いられているのだから・・・